為末大さんが書いた『諦める力』がKindle Unlimitedの対象本となっていたので、今更ながら読んでみた。
(追記:現在は対象から外れているようだ)
さすがは「走る哲学者」の異名を取る為末さん。素晴らしい出来栄えの書籍になっている。
「自分」を見失っている人にオススメ
本書を要約するのは簡単だ。為末さん自身が本書の末尾にまとめてくれているからだ。
何かを真剣に諦めることによって、「他人の評価」や「自分の願望」で曇った世界が晴れて、「なるほどこれが自分なのか」と見えなかったものが見えてくる
続けること、やめないことも尊いことではあるが、それ自体が目的になってしまうと、自分というかぎりある存在の可能性を狭める結果にもなる。
前向きに、諦める──そんな心の持ちようもあるのだということが、この本を通して伝わったとしたら本望だ。
この部分を読んだだけでも、すでに本を手に取って読んでみたいと思えてくる。
今やっている仕事や勉強が辛い人、周囲の声に耳を傾けすぎて自分を見失っている人におすすめできる一冊だ。
それでは、もっと詳しく紹介していこう。
為末大について
為末 大 さん
JAAFから引用
広島県出身の元陸上競技選手。
400mハードルの日本記録保持者であり、世界選手権で2度の銅メダルに輝いた。
現在はコメンテーターや指導者として活躍中している。
Twitterなどでも毎日のように思慮深い言葉を発信し、人気を博している。
魔法はないと知っているものだけが真髄に接近する。
— 為末 大 (@daijapan) 2017年4月4日
「走る哲学者」の異名は伊達ではない。
為末流の「諦める」
為末氏は「諦める」という行為を以下のように捉えている。
「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」
世間でよく言われる「諦める=逃げる」というようなネガティブなイメージではなく、諦めるという行為を前向きなイメージで解釈している。
そんな為末氏も、高校時代までは「諦める」行為にはネガティブなイメージを持っていたようだ。
しかし、ある経験が彼を変えることになる。
100mで味わった挫折と400mハードルへの転向
彼を変えたのは、100mという世界で最も競争の激しい競技で味わった挫折だった。
中学時代、為末さんは100m・200mで日本一に輝いている。
順風満帆に思えた陸上人生。しかし、高校に入ると100mのタイムが思ったほど伸びなかったそうだ。
中学3年生の時点で11秒2だった選手が、高校3年生になると、僕の記録をおびやかすくらいまで駆け上ってきていた。
その時点では、僕のベストタイムを超えていなかったが、僕とライバル選手のタイムの変化をグラフ化すると、そう遠くない時期に僕を超えていくのは明らかだった。
さらに世界ジュニアという大会で世界のトップクラスのアスリートを目の当たりにした。
日本一の高校生たちがまったく相手にされずに予選落ちしていくのを見て衝撃を受けた。ジュニアといえど、世界レベルになると9秒台に近いタイムで選手たちは走る。
この衝撃は大きかった。僕は、このとき初めて「努力しても100メートルでトップに立つのは無理かもしれない」という感覚を味わった。
高校時代の彼のベストタイムを調べてみると、10秒6だった。これは、インターハイの決勝に残れるか残れないかのギリギリのラインだ。
確かに、100mでオリンピックに出場するのは厳しいと言っていいだろう。
私も高校のときに陸上競技をやっており、短距離種目でインターハイ・国体に出場した。 そのため、為末氏がおっしゃる「努力しても勝てない」という感覚を理解できる。
私は為末氏とは違い、全国では通用しない弱小スプリンターだった。
全国大会や強化合宿で自分のはるか前を走る選手たちを見て、「あ、自分は陸上向いてないんだな」と悟ってしまったこともあり、高校限りで陸上競技はやめてしまった。
陸上という競技は非常に残酷で、タイムの違いが距離にそのまま表れてしまう。例えば100mの場合では、たった0.1秒の差でも1mほどの距離の差がついてしまう。
実際に競技場で走ると、1m先であってもはるか遠くに感じてしまうものだ。 そのため、陸上は「努力してもあいつにはかなわない」という絶望感を感じやすいスポーツだ。
100mでは世界と戦えないことを悟った為末氏は、指導者から勧められていた400mハードルに取り組んでみることにした。
世界のトップが集う国際大会のレースだというのに、走ってきた選手がハードルの手前に来るとチョコチョコと歩幅を合わせるような動きをしている。
そういう無駄な動きをしている選手が、金メダルを取っているのだ。そのときに抱いた率直な感想はこうだ。
「100メートルでメダルを取るよりも、400メートルハードルのほうがずっと楽に取れるのではないか」
当時はまだ400mハードルの競技人口は少なく、技術やトレーニング方法も洗練されていない時代だった。
彼は「ここでなら世界と戦えるかもしれない」と感じ、400mハードルの世界に没頭していく。
もちろん、100mに対する未練がなかったわけではないようだ。
100メートルという陸上の花形種目からマイナー種目である400メートルハードルに移った時点で、僕は一時期、強い葛藤に見舞われた。
「割り切った」 「諦めた」 「逃げた」こうしたネガティブな感覚を持ち続けた。
それを人に言いたくなくて、心のなかに隠しておくことが大きなストレスになった。
”手段”を諦めても、”目的”を諦めなければ良い
ネガティブな感情を抱えながらも、400mハードルで結果を残していくうちに、彼はある答えに辿り着く。
「勝つことを諦めたくない」
そう、僕は「AがやりたいからBを諦めるという選択」をしたに過ぎない。
真の目的は「100mで世界一になること」ではなく、「勝ちたい。世界一になりたい」だということに彼は気づいた。
つまり、彼にとって100mは世界一になるための”手段”であって、それ自体が”目的”ではないということだ。
多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っている。だが、目的さえ諦めなければ、手段は変えてもいいのではないだろうか。
これはアスリートではない我々の場合でも同様であろう。
例えば、医者を目指している人でもモチベーションは人それぞれだ。
「誰かを救いたい」から医者を目指している人もいるし、「お金持ちになりたい」から目指しているという人もいる。
もし医者を目指すことが現実的ではない状況に陥った時、前者は「人を救える他の仕事(例:看護師、救急隊員)」を目指せばいいし、後者は「お金がたくさんもらえる仕事(例:社長)」を目指せばいいのだ。
いつまでも”手段”にすがりついていては、一生苦しみ続ける人生になってしまう。
要は「自分が何に対して幸福を感じるのか」について考えて”目的”を設定し、自分が得意な”手段”を使って”目的”を達成する、ということだ。
もし現在の”手段”が自分に合っていないものなら、別の”手段”を使えばいい。それを「逃げ」と呼ぶ必要はない。
そう考えると、小学校の先生が子どもたちに「将来なりたい職業は?」と聞くのはナンセンスなのかもしれない。
「どう生きたいのか?」ではなく「何を目指すのか?(どんな手段を取るのか?)」を子供に考えさせているわけだから。
最高の戦略は、努力を娯楽化すること
では、どのような手段が自分に向いているのだろう。
為末さんは「努力を楽しいと思える手段」こそ自分に向いていると述べる。
最高の戦略は努力が娯楽化することである。
そこには苦しみやつらさという感覚はなく、純粋な楽しさがある。苦しくなければ成長できないなんてことはない。
人生は楽しんでいい、そして楽しみながら成長すること自体が成功への近道なのだ。
楽しんで継続できること、周りから見れば努力に見えるが自分にとっては遊びでしかないこと。そういう手段を選択するということだ。
そこには他人の意見が介在する余地はない。周りの声に振り回されるのではなく、自分自身の内なる声に耳を傾けることになる。
諦めてよかったかどうかは、人生の終盤になって決まる
元々の”手段”を諦めてよかったかどうかは人生の終盤になってから決まる、と為末氏は書き記している。
結局のところ、何かをやめてよかったか悪かったかという判断は、人生の終盤になって決まるものだと思っている。
やめた結果、別の分野で成功すると、やめてよかったという話になる。うまくいかなければ、やめないほうがよかったという話になる。
簡単に言うと、「結果論」である。
「自分が下した選択を正しいものにするために、選んだ道で楽しんで結果を出す」ということだ。
自分が行った選択に対して周囲がアレコレ言ってくることはよくある。それでも、あなたの選んだ道が正しかったかどうかは、あなたが墓に入るまで分からない。
そう思うことで、確かに前向きに生きていけるような気がしてくる。
さいごに
本記事で取り上げたのは『諦める力』のほんの一部でしかない。
ページをめくる度に感嘆してしまう文章がこの本には詰まっている。
ぜひ実際に手にとって為末節を楽しんで欲しい。

▶ 諦める力 / 為末大