Atlas

Atlas

大学生活・研究室生活・留学に関することを中心に発信しています。

世界大学ランキングの結果を受けて、日本の大学が今できること

f:id:raye4483:20170910191613j:plain

先日、イギリスの教育専門誌"Times Higher Education"が2018年の世界大学ランキングを発表した [link]。中国やシンガポールなど、近隣のアジア諸国が順調にランキングを上げていく中、日本の大学は年々順位を下げている。日本のトップ大学である東京大学は5年前は20位台だったが、今年はついに50位近くまで順位を下げてしまった。

今回は、大学ランキングの結果をどのように捉えたらいいのかについて、好き勝手な意見を述べる。ちなみに、私は日本とフランス、アメリカの大学院に所属したことがある程度で、ランキングの制度や各国の教育政策に特段詳しいわけではないので、参考程度に受け止めてもらって話のタネにでもしていただければ幸いだ。

ランキングで上位に位置することがなぜ大切なのか

欧米の大学は大学ランキングを常に気にしている。というのも、順位が高ければ大学の知名度や評判が上がり、世界中から優秀な学生・研究者を呼び込むことができるからだ。日本の大学偏差値ランキングと同じような役割を果たしていると言っても良いかもしれない。

アメリカの大学の場合、学長や学部長の仕事は「大学ランキングの順位を上げること」だと言われる。日本政府や文科省も大学ランキングを気にしているみたいだが、日本の大学など比にならないくらいアメリカの大学は順位向上に力を注いでいる。

アメリカやイギリスの場合、大学ランキングを上げさえすれば世界中から人材を呼び寄せることができる。英語さえ話せれば一応は暮らせる国だし、文化面・言語面で親和性が高いヨーロッパ諸国との距離も近いためだ。

苦しい日本の現状

では、日本の大学も世界中から優秀な人材を集めるため、順位向上に力を入れるべきなのだろうか。私は、日本は欧米諸国とは違う考え方をしなければならないと思っている。

ランキングの指標にはさまざまなものがあるが、その一つに「国際化」という指標がある。日本の大学はこの国際化の評価が低く、それが低順位の要因となっている。簡単に言えば、日本の大学には留学生や外国人研究者が少ない、ということだ。

そもそも、西洋文化と英語が世界を支配する現在、日本という極東の国で学びたい外国人、研究したい外国人はあまりいないのではないか。特に日本は地理面、文化面、言語面の特殊性が高く、外国人、特に西洋人が暮らすには難しい国だ。我々日本人が欧米諸国へ留学すると、言語面のみならず、文化面でも大変苦労し、適応に時間がかかる。その逆もしかりで、西洋で育った人が日本文化にすぐさま適応するのは難しい。つまり、外国人を呼び寄せるのが難しい→ランキングが下がる→外国人がさらに来なくなる→ランキングがさらに下がる、という悪循環にハマっていることになる。

たとえ大学ランキングで上位に位置しようとも、人材招致に大きな効果を与えない可能性があるということは考えておいても良いかもしれない。もしアメリカの大学と日本の大学が同じ順位に位置している場合、同じ給料がもらえるのであれば、ほとんどの研究者がアメリカの大学を選ぶと思う。西洋が世界の中心であり続ける限り、相当な額のお金を積まない限り、優秀な人材を呼び寄せることはできないだろう。

日本が豊かである時代にはさほど気にする必要はなかった。なぜなら、自国民を教育することで高い科学力を育む経済的余裕があったからだ。だが、恐らく今後は違う。50年後、日本の人口は今の7割程度まで減少するといわれている。そうなると、経済規模を維持するために移民を受け入れたり、優秀な人材を外国から得るために躍起になる必要がある。だが、50年後の日本にそのような余力が残されているだろうか。私は大変心配している。

日本の大学はどうするべきなのか

では、日本の大学は順位向上のために何ができるだろう?理想論にはなるが、正攻法で行くならば以下の4点を挙げることができる。

  1. 若手研究者が独立して研究室を持てる制度をつくる
  2. 研究者や大学院生の待遇を改善する
  3. 研究成果を世界中にアピールできるよう、英語や各国語での広報に力を入れる
  4. 初中等教育での英語教育を徹底的に見直し、高等教育機関での共通語を英語にできるレベルにまで日本人の英語力を向上させる

1と2は重要だ。日本では若手研究者が研究室を主宰することは珍しく、まずは教授の下に付いて研究することが多い。自由の効かない立場にある助教や准教授は多いと思われる。アメリカやイギリスではあまり見られないシステムではないかと思う。

宮崎駿の映画「風立ちぬ」に「創造的人生の持ち時間は10年だ」というセリフが出てくる。そして、おそらくその10年は20代〜30代の時期に訪れることが多いはずだ。この創造的時期を自由の効かない身分で研究せざるを得ない環境というのは、非常に非生産的な環境だと言わざるを得ない。また、外国人研究者たちは、日本に来てまで自由の効かない身分で研究したいと思うだろうか?まずは、各研究者が自律できる環境を作ることを優先させるべきだと私は思う。

2についてだが、日本の大学は大学院生や若手研究者にはお金をほとんど出さない。恥ずかしいほど出さない。世界の笑い者になるくらいだ。大学院生や若手研究者というのは、ただでさえ不安定な身分だ。ある程度のお金を出さずして一体誰が望んで研究者になろうというのか。欧米の先進国の場合、博士課程の学生には学費と生活費、保険費など、自立するのに十分な給料が支払われる。それに対して、日本はそういった取り組みをしている大学はまだ少ないように思える。ただ、最近は大学院生に給料を出す大学は増えてきているので、大学院生の生活環境に関しては今後さらなる改善が見られるかもしれない。

日本の大学はどうするべきなのか(おふざけver)

...と、まぁ、理想論を述べてみましたが、言うのは易しです。そんな簡単にいかないことは理解している。「まーた欧米かぶれがなんか言ってるぞ」と言われかねない。そこで、欧米の大学に追従しない形で日本の地位を上げる方法について考えてみたので、以下に記す。ふざけまくっているので、本気で受け止めないでください。

  1. 大学ランキングなんてとりあえず諦めて、基礎研究に資金を投入しまくって50年後に地位逆転を狙う
  2. 科学と工学の教育に極振りする
  3. 英語の教育なんて諦めて、自然言語処理・機械翻訳の研究を推し進め、「ほんやくコンニャク」のような技術を開発する

まずは1についてだが、大学ランキングという土壌で戦うのは恐らく良い戦略ではない。欧米諸国がタータントラックの上で走れるのに、日本は泥沼の中を走らなければならない。非常に非効率的だ(ところで桐生くん9秒台おめでとう!)。そこで、直近の未来を考えることはやめ、50年後を見据えるのだ。応用研究ではなく基礎研究に資金を投入し、地力を蓄え、50年後に逆転して世界の中心を日本にしよう。完全にふざけた考えではある。だが、ドイツは基礎研究に力を入れたことで、現在絶好調らしい [link]ので、あながち間違ってはいないかもしれない。

2も1とほぼ同じ内容である。ただ、この方針によって日本の科学力は向上するかもしれないが、心の豊かさが失われる可能性もある。ガリバー旅行記に出てくるラピュータを例に出そう。空飛ぶ島「ラピュータ」に住む人たちはみな科学について沈思黙考し、「学問のための学問」をしている。つまり、「人類のための学問」をしていない存在として、批判的に描かれている。欧米諸国や中国に追いつくために必死になるのは良いが、度を越して日本が現代のラピュータになることは避けなければならない。ちなみに、察した方も多いと思うが、私は今のところ「文系学部廃止」には反対だ。

西洋の既得権益をぶち壊すためには、まずは英語を亡き者にするしかあるまい。アメリカ人やイギリス人は最小限の努力で外国人とコミュニケーションできるのにも関わらず、我々日本人は必死に英語を勉強しなければならない。これを格差と呼ばすになんと呼ぼうか。エスペラント語などはこのような格差を無くすために生み出された自然言語であろうが、普及に成功しているとは言い難い。それなら、機械翻訳の技術に莫大な投資をして、外国語を習得せずともコミュニケーションができる技術を開発するのはどうだろうか。ドラえもんのひみつ道具の一つ、ほんやくコンニャクを開発するのだ。

さて、こんな感じでしょうか。ふざけきってみました。ただ、欧米諸国に追従し迎合するのはもうたくさんだ、と思っていることは確かだ。欧米諸国のフィールドで戦うと圧倒的に不利な立場に立たされるのが日本という国である。

お隣の中国は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し、今や世界の中心になろうとしている。欧米より中国のやり方に学ぶのが良いのかもしれない。うまく立ち回ることができれば、50年後の世界の中心はアジアになっている可能性も無きにしもあらず...。

日本は以前の輝きを失ってきている。高等教育に資金を投じる余裕はそんなにないのかもしれない。しかし、高等教育によって育成された人材こそが、日本の数十年後を形作る役割を担う(というか、そうでなければならない)。高等教育への予算を今後も削り続けると、数十年後はさらに厳しい立場に立たされるはずだ。高等教育まわりの制度が少しでも改善されることを私は祈っている。

最後に、私の本音↓